プロフィール
一般社団法人傾聴連合会認定傾聴カウンセラー
一般社団日本能力推進協会(JADP)認定メンタルカウンセラー
秋田県出身。神奈川県相模原市在住。
家族の死をきっかけに一般企業に勤めながら短大の頃に学んだ心理学を再度学び直し、資格を取得。
2018年に栃木で 「栃木こころの架け橋」を開業。
2020年に「パートナーシップ制度」を結ぶ為に神奈川県川崎市へと引っ越し「カウンセリングルームこころの架け橋」へと改名。2021年12月にパートナーの転勤に伴い相模原市へ転居。
川崎市と相模原市の都市間連携に関する協定の制度を利用し、相模原市でもパートナーシップ制度を継続しました。
相模原市・横浜市と栃木(宇都宮市)で心理カウンセリング、LGBTQ 交流会、講演活動、講座を展開中です。
私はLGBTQ当事者(Xジェンダー、パンセクシュアル)、元アダルトチルドレン、HSS型HSPです。
私自身が性の違和感から生きづらさを抱え始めたのは19歳の頃になります。
自分は周りとは違う、周りと一緒のことがなぜ自分には苦痛と感じるのか、の葛藤を繰り返してました。セクシャルマイノリティの仲間の集まる場所に居ても孤独感が消えず、ましてや日常の生活の中でも自分の心休まる場所を見つけられずにいました。
そしてまた、セクシュアルの悩みも抱えつつ、親子関係にも悩んでいました。
私の人生が大きく変わったのが家族の死です。その当時私は理不尽な理由から絶縁をされていて、家族の死に立ち会うこともできなければ、最期に会話をすることもできなかったのです。
生前、その家族が最期に言い残してくれた言葉が私の人生を大きく変えました。その言葉とは「お前は自分らしく生きろ」という言葉です。
その言葉を理解するまでには数年かかりましたが、「自分らしく生きる」とは私がこれからどんな人間になっていきたいのか、何をしていきたいのかを深く考えさせらました。
私自身が自分の性に悩み、生きる意味に悩み、他人の言葉や行動に傷つき、居場所をどこにも感じることができなかった過去があるからこそ、現在同じように悩む方々の心理支援を行っていきたいと思ったことから心理カウンセラーとしての道を歩んでいます。
好きなこと
1人の時間を過ごすこと、YouTubeを見ること、プラプラ散歩すること、サウナ。
一番は体を動かすことが好きです。幼少期よりスポーツが身近にありました。アルペンスキー、野球、バスケット、ソフトボールをこれまでにやってました。
カウンセリングではクライアント様の要望で散歩をしながら、スポーツをしながらのカウンセリングも受け付けています。
過去の出来事は変えられなくても、捉え方は変えることができる。未来は自分で作っていいんです。
私はセクシュアリティを自らで受け入れ、認められるまでに12年の歳月がかかりました。
性自認はXジェンダー。
幼少期から男の子の服を好んで着て、外で遊ぶのが好きな活発な子。
美容室には男性モデルの切り抜きを持って行ってました。自身の体の違和感を感じ始めたのが13歳の頃になります。
そして、高校生の頃に
「どうして自分には男性と同じ筋肉がつかないのか?」という葛藤に苦しみました。どんなに鍛えても男性のような筋肉になれない。どうして私の体は女性のような丸みを帯びた腰回りなのかという苦しみがありました。
一時は「私は手術をして体を変えなければいけない」そんな悩みも抱えました。
「私は男性の体になりたいのか?」
「男性として見られたいのか?」
その悩みは誰にも話すことはできず、自問自答の日々を繰り返してました。男性になりたいわけじゃない、戸籍上の女性という性には違和感も苦痛も感じない。一体私は何者・・・?
そんな疑問を抱えていた時に知った言葉が「中性」という言葉でした。
その後に「Xジェンダー」という言葉を知るようになります。このセクシュアリティを知ったときに
「自分には男性も女性も存在してる」ということに気づきました。
性的指向はパンセクシュアル
これまでに沢山の恋愛をしてきました。男性、女性どちらとも。
ですが、
「異性と交際をすれば逃げたくなる」
「同性と交際をしても逃げたくなる」
その繰り返しだったんです。
心の安定、経済的安定、社会的安定を求め、結婚直前まで踏みきったことがあります。
この時もそれまでと同様に逃げたくなる兆候にかられてしまったんです。
人を好きになることができない、人といることに疲弊してしまう・・・。
パンセクシュアル(全盛愛)という言葉を知ったのはここ数年のお話です。このセクシュアリティのおかげで心が楽になったの
は事実です。
このセクシュアリティに関しての私の悩みや生きづらさは育ってきた環境や生まれ持った気質も影響を受けています。
否定しまくっていた自分自身のセクシュアル。今は受け入れ、「自分」という人間を生きています。